田原俊彦 ジャニーズの共演 復帰 [芸能]
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オリコンの7月1日付週間アルバムランキングで24位に初登場。
ジャニーズ事務所所属時代、1992年の『GENTLY』以来の快挙となる。
実は、ジャニーズは、独立したタレントと自社のタレントの共演を好ましく思っていないのです。
よほどの大手事務所に移籍した場合は別ですが……。
田原俊彦は独立後、明らかに勢いを失ったし、ジャニーズタレントとの共演もなくなりました。
続きは後半にて
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1992年の『GENTLY』がアルバム20位以内に入った時、
田原俊彦は映画『課長島耕作』、連続ドラマ『逃亡者』に主演するなど、
スター街道をまっしぐらに走っていた。
この2年後、ジャニーズ事務所から独立し、
向かい風にさらされることに。
前述のジャニーズ事務所が独立したタレントとの自社タレントとの共演を好まない
という、事実からだ。
1970年代の郷ひろみの移籍後、ジャニーズ事務所はこれといったアイドルを生み出せず、
ピンチに陥っていた。そこに現れたのが、田原俊彦、近藤真彦、野村義男の“たのきんトリオ”だった。
田原俊彦と近藤真彦はソロデビューを果たし、大ブレイク。
その後、シブがき隊、少年隊、光GENJIなどが続き、
今に至るまでジャニーズの黄金時代は続いている。
田原俊彦のジャニーズ時代のとてつもない努力が、
いまも後輩に語り継がれています。
日夜、田原俊彦はダンスレッスンに励んでいたからこそ、
50歳を超えた今でもあれだけの踊りができる。
それを後輩たちは知っているから、
「たのきんがいなければ、今のジャニーズはない。」と、
思っているのです。
SMAPやTOKIO、V6などは“びんびん世代”。
中居正広は、『SMAP×SMAP』でトシちゃんと思われるキャラクターのマネをしたり、
ほかの番組でもトシちゃんへのりすぺくとを画面を通して伝えています。
実は、田原がアルバム『I AM ME!』の発売に合わせて出演した
6月19日の『笑っていいとも』(フジテレビ系)でちょっとした“事件”があった。
テレフォンショッキングに出演した田原俊彦が、
「一昨日、ジャニーズのタッキー&翼の今井翼君がたまたま(カラオケで)同席したてんですけど、
『(田原の歌を)歌っていいですか』と3曲くらい歌っていました」と話したのである。
後日、今井翼ももラジオ番組でそのことについて触れ、
田原の親友・三浦知良がつないだ席だったと判明した。
現在、『いいとも青年隊』はジャニーズ所属のnoonboysが務めていますが、
『笑っていいとも』に普通に田原が出演した。
それくらいは当たり前と思われるかもしれませんが、前述の理由から以前では考えられないことでした。
2000年、2時間ドラマとして『教師びんびん物語スペシャル』(フジテレビ系)が放送された際も、
田原は『いいとも』に出ています。
番組宣伝をするとき、ドラマ放送当日に登場するのが普通ですが、
この時のドラマ放映日である金曜の『いいとも』にはSMAPの草なぎ剛がいたためか、
田原はジャニーズタレントのいない前日の木曜に出演。
なんとも不自然な格好になった過去があるのだ。
近年では「たのきんトリオ」を排出した3年B組金八先生のファイナルには
事務所を独立していた田原俊彦と野村義男にはオファーもなかったという事実もある。
そのような経緯を考えるといわゆる”壁”は確実に崩れてきているといえるでしょう。
V6の井ノ原快彦、長野博は『トシちゃんに憧れてジャニーズに入った』と過去に公言している。
数年前、井ノ原は担当するラジオ番組で、
『ジュニアのときのゴールって、トシちゃんのバックダンサーだったよね』
『やっぱトシちゃんっていうのは別格でしたからね』
『会いたいです。是非いつか会いたい』と発言。
共演を熱望していた事がうかがえる。
さまざまな絡みがあるため、なかなか口には出せないだけで、
田原と共演したいと考えているジャニーズのタレントはたくさんいますというのは本当のようだ。
たしかに以前と比べ、徐々に雪解けしてきたことは間違いない。
田原俊彦と現役ジャニーズタレントが共演して、歌う姿を見るのを楽しみにしているのは
ファンだけではなく、現役ジャニーズにも多いのだ。
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